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テス・ギャラガー ふくろう女の美容室

時折カーヴァーに似た簡潔さと的確さ、大胆な日常的設定がみられるが、中身は全く違う。夫と比較ばかりされるのは嫌よ、と言わんばかりに違う。
ほとばしる感情の先端。きらめくプリズム。全くの影か、全くの光しかない世界。自分を投げ入れて、投げ入れた過去の自分をまた投げ入れて。潔すぎるプロセスと、七色に昇華する結末。

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2015.05.29(Fri) - 書評 2015


ジュンパ・ラヒリ 低地

浮遊する視点。章毎で語り手が(一応)定まっていながら、その章内で別の語り手の考えや思いや独白が、堂々と始まる。これは一体誰の言葉なのだろう?と読み手は立ち止まる。そして、少し時間をかけて物語世界をみわたす。
内なる声と、実際に声に出されたことと、出来事を見ることと、実際の地球や都市の動きと。これらも境界線を最低限にしか(改行や句読点を用いるのみで)明らかにせずに、散文詩のように流れるようにかかれながら、詩ではなく物語として成立している。

(p89-91)
米で一人で研究生活をおくるウダヤンと、一人息子を育てるホリーとの出会い。ヒトでを腕にのせる感覚と、橋梁のケーブル長さの示す印米の距離。

(p295-296)
「この子の母親は、ほかに何を残したのか。ベラの右腕の肘のすぐ上あたり、自分では腕をひねらないと見えない位置に、ぽつぽつと星座のように出ているのが、母親譲りの肌の色だ。」
「ロードアイランドの家のベラの部屋で、もう一つ、母親の名残というべきものが現れるようになった。壁の一隅に、わずかな時間だけ影が出る。これがベラには母の面影に見えたのだ。似ていると気づいたのは母がいなくなってからだったが、そう思ってしまえば、もう心の中から追い出せることではなかった。
影を見ていると、母の額から鼻にかけての線がたどれた。口と顎もわかる。影の出所はわからない。木の枝なのか、屋根の庇なのか。どういう光線の具合なのか、ベラにはわからないままだった」
「朝になると必ず出てくる幻影に、こうして母が来るのだとベラは思った。見上げる空の雲が何かに似ていると思うことはあるだろう。そんな偶然と同じかもしれない。だが影は雲のように分かれず、ほかの形になることもなかった」

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2015.05.29(Fri) - 書評 2015


高井有一 北の河

強烈な母の像に、胸が焼かれる。
母は北の河に冷たく自ら流れる。
「死ぬのよ、そうすればいいじゃないの」
最後の母の息子を冷たく引き離そうとする言葉に、あきらめと、この世を生き抜いていく武器を与えようとする気概と、全てのものに対する怒りが重なる。
母の最期は全てを焼き付くし、物語をひとつの観念へともちあげる。

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2015.05.29(Fri) - 書評 2015


デニス・ジョンソン ジーザス・サン

カーヴァーを別の場所、別の時間で演じたような。
切実さはなく、楽天さにそれが変わっている。
まるでそうでもない限り、その場所と時間をいきることが出来ないとでもいうように。
そういう意味ではカミュ的だ---全部太陽のせいだ

会話のかみ合わない感じが良い---「緊急」
「教会に行きたいな」とジョージーが言った。
「カウンティ・フェアに行こうぜ」
「礼拝がしたいんだよ。すごく」
「怪我した鷹や鷲がいるんだぜ。動物愛護協会が集めてくるんだ」と俺は言った。
「静かなチャペルがいまの俺には必要なんだよ」

意味が一発ではわかりにくい(時にほとんどわからない)が、凝縮され、激しく光っている、会話やあらすじ以外の部分(俺と俺たちとお前とお前たち、全ての溶解)---「ハッピーアワー」
「俺はピッグ・アリーにいた。そこはもろに港に建った建物で、ぐらぐらの桟橋の上、海に突き出していて、床はカーペットを敷いたベニア板、カウンターは耐熱樹脂だった。雲の天井を通って太陽がじわじわ降りてきて海に火を点け、溶解した光で大きなピクチャーウィンドウを満たし、俺たちはまばゆい霧に包まれて売り買いしたり夢を見たりした。
ファーストアベニューに並ぶ酒場に入っていく人々は自分の肉体を放棄した。そうなるともう、見えるのは俺たちのなかに棲む悪鬼だけだった。たがいに対して悪を為した魂たちがここに集められた。レイピストは強姦した相手に遭い、見捨てられた子供は母親を発見した。けれど何ひとつ癒えはしなかった。銃はすべてのものをそれ自身から隔てるナイフだった。偽りの仲間意識の涙がカウンターの上に垂れた。そしていま、お前は俺に何をしようというのか?何を使って俺を怯えさせようというのか?」

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2015.05.29(Fri) - 書評 2015


プリーモ・レーヴィ 今でなければいつ

アウシュヴィッツの現実体験を、フィクションという器に載せることに成功した。それは文体が良いからだ。鮮やかに人々がうつしだされる心地よさ。P81~P82のカルリス(※完全な脇役)の登場シーン。
「ガイドがこんなものなら、メンデルは喜んで願い下げにしただろう。だが本当に地理に詳しく、特に徒渉地を知り尽くしているの明らかだった。名はカルリスと言い、ラトヴィア人で、二十二歳だった。背は高く、やせていて、金髪で、身ごなしは流れるようになめらかだった。遠方で生まれたのに、なぜポレジアの沼地に詳しいのだろうか?ドイツ人に教えられたのだ、とカルリスは答えた。そのロシア語はたどたどしかった。彼の村ではロシア人よりもドイツ人のほうが評判が良くて、彼も初めのうちはドイツ人びいきだった。彼はドイツ軍につき、パルチザン狩りのやり方を教わった。そう、この地方で。一年ほどいるうちに、隅々まで知り尽くした。だが彼はばかではなくて、スターリングラードの敗北以降、ドイツ軍が破れると見てとり、再度脱走したのだった。彼は顔を崩して、同意を得ようとした。いつも勝つ側についているほうがいいだろう?だが今はヒトラーにもスターリンにも捕まらないよう、注意していなければならない。だからノヴォショールキに逃げ込んだのか、とレオニードはたずねた。もちろんそうだ。個人的には、ユダヤ人には少しも悪い感情はないから。」
うっとりしてしまうほど上手いと思うがいかがだろう?いま目の前に、一人の、得体の知れないが、やり手の、男が現れる。

主人公のメンデルは、仲間で同じユダヤ人であるレオニードの女を奪う。そのレオニードは向こう見ずな戦闘で命を落とす。メンデルはレオニードに対して罪をおかした意識をぬぐい去ることは出来ないが、逃亡を続けるチームの(その女以外の)誰にもそのことを明かすことは出来ない。
しかもその女はメンデルやまわりの男達よりもずっとたくましく、感情を殺して現実を生きている。メンデルが戦争中に初めて見た夢のシーン。
「・・・天井は黒く塗られていて、壁には沢山の時計がかかっていた。時計は止まっていなかった。時を刻む音が聞こえて来た。だがみなまちまちの時刻を指していた。中には反対方向に回っている時もあった。メンデルは漠然とだが、それは自分のせいだと感じた。廊下の奥から平服を着た男がやって来た。ネクタイを締め、見下したような態度を示し、おまえは何ものか、ときいてきた。メンデルは答えられなかった。どんな名前か、どこで生まれたか、何も憶えていなかった。」(p246)

作家が文章を扱うとき、どの文章を残し、どの文章を捨てていくのかという方針があるとすれば、その重みづけだけで、物語を前に進めたり、終わりに近づけたりすることができる。チームのリーダーであるゲダールの、旅路のあいだ美しい旋律を奏で続けるヴァイオリンが、目的地たるイタリアに入らんとする列車の中で、図ったかのように使いものにならなくなるのは、フィクションのなせる技だが、その描写はあまりにもリアルであり、終局的だ。
「その時、不意に乾いた音が響きわたり、ヴァイオリンが沈黙した。ゲダーレは中空に弓を上げたまま立ちつくしていた。ヴァイオリンの底が抜けたのだった。「ヴァイオリンが壊れちまった」とパーヴェルはあざ笑うように言った。他のものたちも笑ったが、ゲダーレは笑わなかった。彼は老齢のヴァイオリンを見つめていた。ルニネーツで彼の命を救い、おそらく別の機会にも知らないうちにそうしていて、倦怠や絶望を乗り越えさせてくれたものだった。彼を狙った銃弾で穴をあけられ、戦争で負傷したので、ハンガリー人のブロンズメダルで飾ったヴァイオリンだった。「何でもないわ、修理させましょうよ」と白いラケルが言った。だがそうではなかった。太陽と悪天候が木を腐らせていたのか、ゲダーレが舞曲をひいていた最中に力を入れすぎたのか、いずれにせよ、修理不可能なほど壊れていた。駒がめりこみ、微妙に盛り上がった楽器の胴体を壊し、中に食い込んでいた。弦はしまりなく、卑しい様子で垂れ下がっていた。もうどうすることもできなかった。ゲダーレは扉の外に手を突きだし、指を開いた。ヴァイオリンは線路の砂利の上に落ち、不吉な鐘の音をたてた。」(p354-355)

PS:竹山―レーヴィは、村上―チャンドラーや窪田―カミュと同様に、無一文になっても読みたい屈指の攻撃陣である。

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2015.05.29(Fri) - 書評 2015





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