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小野正嗣 九年前の祈り

「丁寧さ」ということについて。
カナダ旅行と、大分の海によって束ねられた世界の出来事とが、重ね合わされる。それらは完全に一つの場所、一つの時間のなかに存在しているかのように描かれている。わずかなスペースでも区切られずに、そこにある。こういった文章によって、読み手は注意力を喚起される(僕にはそれは避けることができないことのように思える)。すなわち、「丁寧に読まなければ」というような義務感が、生まれてくる。その次に(感心させられるのだが)丁寧な読み方にも耐えられるように、丁寧にに編まれた文章が、そこにある。それは、論旨が破綻していない、客観的にみて完全に書きられている、という意味合いにおいてではない。
それは、一つのモチーフやイメージのようなものが、作者の分かりうる限りにおいて、決してあれやこれやと手を広げすぎることなく、確実に、嘘のないかたちで、表現されつくしている、ということなのだと思う。

だが、読み切ったとき、「これでおわり?」とも思った。丁寧に書きつづられてきた、母、父、カナダ人の夫やその友人、地場の女たち・・・それらが書ききられていないとも思う。永遠に語り続けられるべきものが、姿をあらわしつつあるという感じ。より大きな世界の予感が音を立てて鳴っているなかで、物語は終了する。結末のシーンは、唐突ではあるが、鮮やかに物語を閉じる。前提を限定したために綺麗にまとまってしまったというわけではなく、永遠に語り続けられるべきものの不確かな「におい」が充満しているなかで、「この作品において語られること」が丁寧に語られている。

PS:男性作家による女性(母親)の主人公像

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2015.05.29(Fri) - 書評 2015





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