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정류장

 停留所に毎朝行ってバスを待ちます。誰もかもがそこではバスを待っています。朝は利用する人数が多いので、停留所の建造物の外にあふれだしています。スマートフォンをみている人が一番多いです。電話をしている人もいます。何もしていない人はたいてい音楽を聞いています。僕は一番やってくるバスがみえずらい場所、つまり一番人気のない場所に立って、彼らをみています。バスを待つこと以外に、皆、何かをしています。この停留所には到着時間を知らせる電光掲示がありません。あの町の市内にいくバスにのる人は多く、おおむね十五分間隔で運行されています。この停留所には三路線、あの町の市内にいくバスがとまります。あとは何種類かの市内バスがとまります。しかし、停留所には時刻表は貼り出されていません。細かいことを知りたいのであれば、スマートフォンで調べれば、リアルタイムで、それぞれのバスの現在位置がわかります。それでも、それは韓国語ができなければ、自分でみつけ出すのは難しいでしょう。停留所に外国人サービスセンターがあるわけでもありません。乗るバスの路線番号さえ知っていればなんとかなります。あとは方向さえ間違わなければ大丈夫です。だから停留所は最低限の情報を与えます。路線番号と、その大まかな行き先です。駅名は小さくしか書かれません。囲いとベンチがあって、風をさけるために寄りあって、囲いのなかはバスのなかより混み合っています。ベンチにはみんな、あまり座りたがりません。そんなことをしたら、やってくるバスの番号がみえないからです。
 バスはひっきりなしにやって来ます。ただ目当てのバスは、確実に十五分間隔でしかやってきません。あっても二分早まるか遅くなるかです。雪の日や訓練の日は別だとしてもです。朝は全てのバスが停留所にとまるから安心です。扉がやってくる前から、誰もかもが、自分のとまってほしい位置に立って、運転手をみつめます。決まった場所はなく、バスは囲いの五メートル手前にとまることもあれば、三メートル先にとまることもあります。そして、たとえ僕の目の前にとまったとしても、すでに何人かが僕と扉の間にいます。扉に並走して、はやい者もおそい者も、みんな扉のまわりにくっついてきます。決して列にはなりませんが、扉のステップに足をかけるときには、必ず順番ができます。それがバスと停留所の境界です。この列にならない群衆のなかでの心理は、それは複雑です。マナーがあるとも言えませんし、ないともいえません。ということはそこに固有のマナーがあると考えるべきなのでしょう。明らかな割り込みは誰もしませんが、横から入り込むのは、されることもあります。押したり無理やりということはなされませんが、とにかく一目散に扉の近くに陣取ります。扉が開くまでに、最初のほうか、中間か、最後のほうか、すでに形勢は決まっています。あとはひとつふたつ、順位が変わるだけです。そこには、どちらにしろ座れるだろうという思惑や(現に座れるくらい席はたくさんあるのですが)、スマートフォンをみていたから遅れちゃったというようなことはほとんどありません。全員がこの小さな競争に参加するのです。
 停留所にはこういった小さな熱情のかたまりがあります。だから二人しか乗る人がいなくても、みんな急ぎます。体がなれてしまうと、たとえ一人で待っていても、この週刊が身についてきます。目的の番号のバスが来たときだけ、運転席のあたりに眼の奥から視線を注ぎます。生半端な視線だと、停留所にとまってくれないような気がします。そうしない勇気など、僕にはありません。もっと逆説的な例もあります。そこが停留所ではなくても、やりかたによってはバスに乗ることができます。赤信号の前でとまっているときに扉をたたいたり、ゆっくり走っているときに並走してサイドミラーごしに姿を反射させたりする人がいます。すると扉がひらくことがあります。バスは停留所ではなく、運転手がとめたところにとまるのです。あるいは、一定量の熱量があれば、そこはどこでも停留所になるのです。それは若人が、とか老人が、とかは、あまり関係がありません。一度あなたも試してみてはいかがでしょうか―ただし、手をあげたりしてはいけません。そんなことは誰もしません。それはアピールだからです。扉まで、なんとかたどり着くようにしてください。バスはタクシーではありません。停留所にとまるものです。

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2014.03.27(Thu) - 釜山 2014





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