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삼게탕

 この町でサムゲタンを食べたことはありません。でも僕はサムゲタンが大好きです。妻が作ったものが大好きです。それが理由でこの町で食べたことがないわけではありませんが、大好きでも特に食べたいとは思わなかったのです。少なくとも今のところはです。もしかしたら明日、とつぜん看板を急に眼が探し出すかもしれません。ガラガラと半透明の引き戸をあけて、食堂へ入っていくかもしれません。でも、おそらく食べません。僕にとってサムゲタンは自分から食べに行くものではなく、向こうからやって来るものなのかもしれません。探しに行ったサムゲタンを想像するだけで、食欲がなくなります。白い鶏肉が、胃液と混ざった白い液体となって口から出てくる予感がします。
 僕はとても個人的なサムゲタンにまつわる考えについて述べようと思います。今までの話はあくまで導入にしかすぎません。その個人的な体験を文章にすると、次のようなものになります。
「サムゲタンが教科書に出てくると、またか、というデジャ・ヴの観念におそわれる。頭がくらくらし、軽いはき気を覚える。」
 これは僕をいくどもともなく揺さぶり続けてきた体験です。しかし今まで有効な対策を考えたことなんて、ありませんでした。だから一種の錯覚だと考えてきたわけです。ハードワークしすぎて、ちょっと疲れているのかな、という具合です。
 ところで、とつぜんですが、妻はサムゲタン作りが妙にうまいのです。ここだけの話ですが、はっきり言って彼女の料理は雑です。餃子や魚が焦げないかいつも不安です。少しでも指摘すると、例えば、「この麺はもう少しゆでたほうがよかったんじゃないかな」などと言うと、間髪を入れずに「だって」という言葉とともに、言い訳がはじまります。でもサムゲタンの場合、そういう不安は全くありません。僕はそれが食卓のうえに運ばれてくるまで、ゆっくりとテレビをみていられます。チャンネルを変えながら(僕のなかで)最終選考に残ったどうしようもなくつまらない番組のなかで、なんとか面白さをみつけようとするほどの余裕があります。
 話がそれてすみません。教科書のなかのサムゲタンに話をもどします。授業を聞いていると、先生が「次のページ」と言います。僕は他の学生の紙をこする音を聞きながら、ページをめくります。何も考えずに。何も恐れずに。するとそこにサムゲタンの写真がのっています。文字通り僕は、息を飲みます。時間は(僕のなかで)とまります。表情はおどろきのあまり固まります。強烈な状況の再来感とともに、万感の追憶の触手が一気に過去の教科書にあらわれたサムゲタンの肖像を探します。ただそこには何の手がかりもなく、またか、という途方のない高揚の調べだけが残ります。
 事実、僕は何回も教科書のなかでサムゲタンに遭遇していたのでしょうか。それとも教科書とサムゲタンの間には、何らかの再来感をよびおこす化学反応があるのでしょうか。いずれにせよ、今回こうやって記録を残したわけですから、前者の可能性については、検証が可能になったわけです。
 でも…この文章を書き始めてしまったことに、何かサムゲタンにたいする裏切りの気持ちを感じてしまうのはなぜでしょうか。吐き気や頭痛がやってきそうな予感がします。もしかすると教科書のページを無心でめくる日はもう来ないかもしれません。与えられるべきサムゲタンを追いかけてしまった、僕が、やはりいけなかったのでしょうか。
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2014.03.27(Thu) - 釜山 2014





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