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グレイハウンド



まず彼女の子供が死んだ。彼女の過労ということだった。ただ要因はそれだけではない気がする。妊娠してからというものの、体調が悪ければ早めには帰るようにはしていたし、僕たちはそれをうながしもしていたのだ。
その知らせは正月の三が日のどれかにやってきて、風にのってすぐに消えていった。人気のない目ぬき通りに、不意にやって来た、強烈な黒いスーパーの袋のように。
北野駅(八王子のほうだ)の近くの焼肉店で最初のタン塩が焼かれ始めて、まさに裏返されんとしていたときだった。
「知らない?駄目になってたの。」
ヒデユキはトングを右手に持って、左手で自分の腹のあたりを押さえながら言った。
僕は人差し指二本を×マークにして、眼を見開きながら首をかしげた。
「そうそう。」
ヒデユキは上司だった。ソファーには『会長』と呼ばれる男が座っていた。なぜ八王子かという原因となる人物だった。白髪で眼鏡をかけ、手が異常に大きかった。以前は有名な着物の針子だったということだった。ヒデユキが懇意にしているこの男の住まいが、北野にあった。『会長』もヒデユキも、ゲイで独身だったが、ヒデユキが言うには、『会長』の言うことは、よく当たるらしかった。だが、その内容についてあまりよく覚えていない。そのとき彼が彼女についての会話には参加してこなかったからだ。
確実なことは、僕は『会長』とヒデユキに気に入られたらしく、人気のない個人経営の焼肉店で、男三人の新年会に参加していたということだ。それと、彼女の子供の死の話は、膨らむことなく消えていったということだ。彼女も上司だったが、僕と同い年だった。優れた美貌と、愛嬌のよさで、ヒデユキその他の『おじさま』を転がしていた。ヒールを履くと170cmはあったはずだ。メイクはばっちりだった。頬はいつも赤く、細い体にスーツのほうからぴたりとすり寄っていた。男らしく豪快に笑うこともあれば、女性議員のように滔々と問い詰めることもできた。
『おじさま』のなかにはキャバ穣のようだという人もいたが、まんざらでもないようだった。そうして彼らは、僕を夜の道玄坂に誘った。キャバ穣という表現が正しいかどうかはわからない。夜の遊びについて、興味がない、と断っていたからだ。いちいちそういったやり取りをするのが、とても面倒だった。僕はチームでほとんど一番の下っ端で、彼女を見ていると、同い年の人間が、時にはほとんど命令にも近いかたちで、年上のメンバーをコントロールしていることに感服した。これは絶対に真似できない、と思った。

ヒデユキと八王子から六本木まで、中央線と銀座線を乗り継いで行った。飲んでいくか、いきましょう、本当にいくの、ええ。そんな調子だった。夜12時をまわったころ、駅出口近くの交差点の脇の立ち飲みバーについた。五人ほどすでに人がいたように思う。そこには僕の一つ上の先輩だが同い年の、マキコさんがいた。三人がならんで立つと、カウンターにはほぼ等間隔で人々がいるかたちになって、妙な一体感が生まれた。なぜかといえば、どちらでもさして変わりはないのだが、人というのはいくつかの塊に分かれたがるものだからだ。そうすれば互いの塊が認識できる。
マキコさんに彼女の子供の死についてきいてみた。
「そうみたいだね。」
「なんていうか、無理しすぎたんですかね。働いてましたからね。」
「そうだね。だから、私がもっとしっかりしなきゃって、思っちゃうのよね。そうやっていつも、思うんだけど。」
「現状、彼女の代えがいないですからね。」
「そうそう。それからノゾミンも辞めちゃうって知ってた?」
「知ってますよ。」ノゾミさんも、シキコさんと同い年の、これまた先輩だ。
「知ってたんだ。だって発表された年末最後のミーティング、出てなかったでしょう。」
「事前に聞いてたんですよね、ヨッピーから。」ヨッピーことヨウジ係長も、同い年だ。なぜこうも同い年の人間が多いのだろう。
「そうなんだ。なるほど。」
マキコさんは目の前のバーテンダーの立つ向こう側の、空間のうえの空気を見つめた。どんどん人がいなくなりますね、と僕は言った。
「そうだね。」
「…誰かまた補充されますかね。」
「さすがに、たぶんあるでしょう。」
チームは慢性的な人手不足だった。彼女を中心にメンバーはまとまっていたが、離脱とその引き止め、新たな補充が定期的に行われていた。毎月のように歓迎会、兼、送別会が開催されていた。そのたびに新しい宴会会場を探さなければならないのが、なんとも面倒だった。出来損ないのメンバーが他にまわされ、ノゾミさんのようなよく出来るまじめな人は辞めていった。
そして彼女も死んだ。年が明けて最初のミーティングで、ヒデユキから発表された。メンバーのなかには、彼女の政権交代を望むようなことを言う『おじさま』たちも少なくなかった。僕の考えでは、そこにはヒデユキも少なからず含まれていたように思う。彼女と僕たち、マキコさん、ノゾミさんのようなプレイヤーを結ぶ、サブボスのような人たちだ。ヨウジ係長もそこに含まれていた。それでも彼らは彼女の死に一定のショックを受けたのだと思う。流産に引きずられて、数日後に息を引き取ったという。葬儀はすでに済まされた。席に戻ってからも、得意先に接するかのように、互いにみんな、丁寧に話した。
新しいリーダーにはヒデユキがつくことになった。そしてノゾミさんが辞め、新しいメンバーが追加された。引継業務にともなういくつかのクレームがあった。しかし僕たちはおおかたの場合、何ごともないかのように、着実に業務をこなした。周囲で変化することはいつも通り多かった。しかしそれにはもう、すでに慣れきっていた。新卒の採用人数が大幅に拡大され、類をみない人数の新人たちのための教育プログラムの作成にあたった。税率の変更に伴うアナウンスの方法やシステムの変更について、議論がなされて共有が行われた。株価は極端な下落を起こしたが、徐々に回復していった。あらゆる変化について、顧客から質問されたときの受け答えについて、僕たちは一番の楽しみであるランチを食べながら、時間を惜しんで話しあった。

仕事中、ヒデユキにたびたび呼ばれるようになった。彼女にもよく呼ばれていたから、最初ヒデユキが彼女のやり方をそのまま真似ているだけでは、という思いがよぎった。それでは、彼女は違ったかたちであれ、永遠にいることになる。呼ばれると、議事録の取り方や、印鑑をもらう順番など、細かな点について指摘された。これも面倒なことだった。僕はあまりに些細すぎるというときには反論することもあった。すると、彼はそれまでディスプレイに向けていた顔をこちらに向けて、よく鍛えられているに違いない腹筋から、あの低い声を出すのだった。「なんだ、怠慢なのか。」何しろ彼の着座する姿勢が、マニュアル通りといった具合に美しいのだ。そのせいか彼の顔には申し訳なさは読み取れなかった。まるで何ひとつ迷いなく的の中心のみを見つめる、アーチェリー選手のような眼だった。なおも引き下がらずに、みな苦労しているとそのまま言ってやると、最後には笑ってこういったこともあった。「そうなのか、それなら後で他部署と相談してみるよ。」この姿勢は彼女とは異なるものだ。
彼女の場合はこんな風には済まなかった。彼女は折れるということがなかった。少し風にあおられて、しなるということもなかった。呼んで指摘するときには、徹底的に問い詰めた。こちらが反論しようとも、自分の考えを曲げて意見を取り入れるということがなかった。彼女は僕たちの前では、いつまでも正しいのだった。強制力にあふれた声と眼と表情をまえにすると、服従してもしなくても結局は同じなのだから、いっそ服従してしまったほうがいい、という考えが浮かんでくるのだった。
ほかに決まって起こっていたことといえば、火曜日の帰宅時間になるとヒデユキが、よし飲みいくか、と声をかけてきた。業界の慣習にならって、会社は水曜日休みだった。僕は適度によく付き合ったと思う。決まって八王子のほうまで行って、『会長』と合わせて三人で焼肉店に行った。時折、『会長』の若い男が同席した。大学生ということだったが、ひどく丁寧なしゃべり方をした。僕は正体がわからない感じを受けたので、ほとんど彼と喋らなかった。
断っておくが、僕はヒデユキと親密な関係はなかった。どちらかというと『会長』が僕のことを気にしていたらしい。ヒデユキはよく、『会長』が一緒に飲みたいんだって、と顧客に使うあの猫撫声で言ってきた。ただそれは口実だったかもしれない。『会長』は最初、「あらかしこいよねぇ」とか「この子はものわかりがいいわぁ」とか言って、膝や肩に手を置いた。もう六十歳をすぎているということだった。戦後の麻布の話、「どの通りのどこに自分の店があった」とか「どこの副社長がよくうちの店に来てた」とかいうことをよく話した。それから僕のしゃべり方や人となりについて論評と助言が行われた。それによると、僕は、「頑固」ではなく、「強情」すぎるということだった。あながちそれは間違っていない、とそのときは思ったが、いまではどう違うのかよくわからない。あとはというと、肉の焼き方にこだわりがあった。僕の焼き方が悪いと、ヒデユキが代わりに焼いた。ヒデユキが悪いと、自分で焼いた。僕は何回かその会に参加したが、うまくなじめなかった。それが向こうにもわかったのか、ある時から誘われなくなった。

ヒデユキに誘われなくなると、それはそれで何か物足りないのだった。それで再び、彼女のことを考え出した。彼女が新築した家で一度パーティーをしたことがあった。彼女は寛容だった。大きな器のようだった。彼女が、僕とも、シキコさん、ノゾミさん、ユッピーとも同い年だということが、信じられないくらいに。それは彼女の超えてきた試練と修羅の高さを想像させた。会社では呼び寄せてにらみつけるか、罵声をあびせるかであったが、パーティーとなるとひどく物腰が柔らかいのだった。もちろん彼女のほかに、同い年で家をたてた者などいなかった。歩いてそのなかに入ると、すでにみんないた。彼女はある椅子の背もたれに手を置いて招き、僕のすぐ横に座った。ビールでいいか尋ね、グラスについだ。とても自然で、とげとげしいところががまるでない、花の茎のように滑らかだった。机の上には大げさなものはなく、丁度最後の鍋が運ばれてくるところだった。チームの『ママ』ことグッチーが、それを持ってきた。三田係長が立ち上がり、そう、あの物腰が低くて、時に本当に怒り出すと誰もが恐れる三田係長が、小皿に取り分けてくれた。だから僕は一番の下っ端で、遅れてきたにもかかわらず、全てをみんなが、あたかも当然であるかのように、セッティングしてくれたのだ。特に固い感謝の言葉を言う風もなく、不思議だった。パフォーマンスでもなかった。それをずっと、彼女は無駄口の一つも言わず見ていたのだ。彼女は自分の発する力というものに非常に意識的だった。彼女はヒールを履いていなくても背が高かった。前には赤いエプロンをかけていた。リビングで出来上がったメンバーがソファーに座って、ワインやチーズとともにお喋りをしていて、そこに遠くから友達のように声をかけた。僕の隣の椅子に座りながら、リビングとダイニングの全体を、ずっと見ていたのだった。そのパワーをひしひしと、僕は感じていたのだった。
思い返してみれば、このパーティーは、子供と彼女が死んだ年末の、ちょうど同じ12月に催されたのだった。彼女が妊娠していることは、もちろん全員が知っていた。一月も二月も三月も会社に出てくる予定だった。彼女はエースであり、成功者であり、休みをとらないことは、ある意味で不思議ではなかった。それは彼女自身が選択したものだと、ある意味では思われていたのだ。しかし、ヒールを履かなくなり、腹は膨らんできていた。時折、決して以前は見せることのなかった辛そうな表情を仕事中に見せることがあった。そういうところをみていると、果たして大丈夫なのかと、少なくとも僕は思った。それを口に出して誰かに向かったこともあった。でもその話は大きく膨らむことはなかった。彼女は代えがきかないボスだった。彼女がいなくなったチームなど、舌のうえで転がした後の残ったアメほどの重量しかない、予測に届かない逃避でしかなかったのだ。僕は囚人で、日々をいかに耐え抜くかにしか興味はなかった。それは囚人でいた方が、結局は大きな枠組みのなかで被害をうけずに済むのだという考えだった。これは僕だけでなく僕らの総意だったように思う。




四月、五月が終わり、六月になった。ゴールデンウィークに僕らの会社は休みがないので、六月の同じ時期にまとまった休みがあった。最初の日は働き続けた反動から、昼過ぎまでベッドの中で動けなかった。まるで一月から一日も休日がなかったみたいだった。そして三時を過ぎたころ、マキコさんに電話して、飲みにいきませんか、と誘った。僕は通常、SMSやLINEを使わない。面倒だからだ。別に電話に出ないのであれば、それで構わない。
それに僕は本質的な部分においては、恋愛にも興味がなかった。発展ということに関して、考えが及ばなかったのだ。そしてマキコさんも、おそらく同じだった。そう感じていたからだったが、理由はわからない。折り返し電話がかかってきて、銀座で立ち飲みすることを提案した。しかし、ヒデユキに会いたくない、別のところがいい、と言った。どうしてなのかわからなかったが、待ち合わせ場所についてはまたやり取りすることにして、夜に会おう、ということだけを決めた。
掃除を済ませてパソコンを開き、「東京 美術館」と検索した。しばらくした後、行きたい場所を選び、家を出た。歩き、駅前で食事をとり、普段と異なる路線に乗った。東京は人であふれていて、空は曇っていた。ある中心駅で乗り換えた。人の流れが、振動する波のように増えたり減ったりしていた。そのなかの一粒となって動いていると、心地よさと安心を覚えた。このように生まれ育ったのだと、あらためて実感するようだった。外の光が全く入らない地下のホールに着いて、様々な出入口から人が入り、いくつものエスカレーターが無数のホームへ人を送り出しているのを見ていると、若干の足の疲労とともに、自分が感動すらしているのがわかった。人口の白い光が充満し、靴音が満ち、遠くからアナウンスが響いていた。そのなかで立ち止まりたい衝動を抑えた。もしそうしたら、すべてが台無しになってしまうだろう。眼を閉じたら、海に立っているようだ。エネルギーを受容している瞼の裏の火照りと、波が柔らかく砕け続けている音。僕は表情をひとつも変えずに、地下鉄に乗り換えた。
美術館は駅に直結していた。何番出口から出ればいいか、ホームで確かめた。名前を知っているだけで、この美術館には一度も来たことがなかったが、いくつもの矢印を見落とさずにたどっていけば到着できるよう、通路はきちんと整備されていた。自動ドアがいくつか開き、背中の後ろで閉じた。巨大な建物のなかに、オペラホールやオフィスと一緒に美術館があった。人は通路に数えるほどしかいなかった。
チケットは地下鉄の一日乗車券ほどの値段だった。習慣として、ボールペンとメモ帳だけをポケットに入れ、コートとバックをロッカーにしまった。何か気になることがあれば記録しておける。美術館はビルの三階にあった。窓はひとつもなく、天井は六メートルから八メートルほど、壁はフレキシブルに仕切ることができるよう、照明も含めて設計されているようだった。入り口を入ると、細長い通路が作られ、小さなオブジェとスケッチが並んでいた。人間の耳、懐中時計、本、メトロノームなどが、白い石膏でかたどられていた。それから大きなホールがいくつか続いていて、動画が大中小のスクリーンやディスプレイにそれぞれ映し出されていた。それらのひとつひとつ、あるいはコンビネーションが作品になっていた。順番に見ていった。すべての作品に言葉はなかった。言葉といっては題名と作者と年代だけであった。それからすぐに、作品の初めから終わりまでの長さが、とても長いことを了解した。すべての作品を初めから終わりまで見るのは、朝から晩までいない限り不可能だった。手元のチケットブースで貰った紙を見ると、おおむね十五分から二十分あった。一つの作品だけが七分ほどの長さで、それを初めから終わりまで見た。それが特に起承転結もなかったから、その他の作品についても同様だと判断した。他に客は二回か三回すれ違ったが、いずれも女性だった。あとは各室にいる監視員だけだった。僕は最初の部屋に戻り、壁際におかれたベンチに腰掛けた。こうした印象と行動が、作者の意図通りだったとすれば、なかなか面白いと考えた。

ベンチの前にはスクリーンがあり、カラーの映像が流れていた。部屋の中で、大小の歯車が、一つ一つ独立して、床や空中で回転していた。生きた一人の人間が、その部屋に共存しているように見えるよう、工夫されていた。白い漆喰で塗り込められた部屋のなかで、ほとんど映像は完結していた。人間は男だった。壁のなかにも歯車は埋め込まれていた。映像にわかりやすい脈略はなかった。例えば部屋中のものが逆さまになっているシーンがあった。それはあるところで突然途切れて、次にまた別のおかしなシーンが続いた。順次そういった具合だった。次第に僕は、それぞれの断片がすべて、どこかで見たことがある比較的わかりやすい手法だと感じるようになっていった。例えばシュールレアリズムとか、そういった言い方を用いられるものだ。映像全体は美しく静かだという印象を与えるもので、全てを理解したわけではないが、言葉のない孤独な部屋それぞれは、どこかで見たり聞いたり読んだりしたことがあるように感じられた。だが断片が無数に感じられるよう連続していると、どことなく魅力的だという印象があったように思う。そのなかでかろうじて、いくつかの物体が、男との大きさや距離の関係を拡大したり縮小したり適正にしたりしながら、脈略のようなものを作り出そうとしていた。それは最初の細い通路で石膏のオブジェになっていた物体だった。
はじめ、あえて何かを見つけ出そうと僕はした。そのうちに映像が終わった。題名と作者のアルファベットがあらわれて、始まりに戻り、最初のシーンはこんな具合だった。白い砂浜に波が打ち寄せていた。波が砂をこすっていた。海鳥はおらず音があり、レコードプレーヤーが置かれ再生されていたが、それはノイズしか出ていなかった。この最初のシーン以外は、すべて白い漆喰の壁のなかに世界はあった。僕は次第に何の脈略を見つけ出すこともしなくなった。スクリーンは巨大だった。縦は天井から床まで、横幅は一五メートルはあったように思う。音響は、歯車がまわったり、レコードプレーヤーがノイズをだしたり、ケーブルが巻き取られたりする音を出していた。その音は、耳元で本当におこっているかのように再生されていた。展示室は闇におおわれていて、ほかに観覧者はいなかった。
僕はしっかり目を開けたままでいた。ずっと座っていた。手元の紙によると、この作品の長さは十七分ということだった。どうしてそこに座っているのかという問いが浮かんできたが、全ての作品を見終わった後に、もう一度見たいと思ったものがこれだったという、至極当然のことにたどり着いただけだった。最初に目に入った作品だったからもしれないが、そこに何かを見出そうという気をしずめたあとは、どっぷりと湯船に浸かっているように、全てが包むようにやってきた。それが去っていくという感覚すらなかった。シーンのそれぞれは、早送りされたり、通常の速さだったりして、段階的な時間の流れを作り出していたが、それは映像だけに反映されて、音楽はよどみなく通底しつづけていた。
僕はある時、眼を閉じた。あまりに気持ちが良かったからだ。理解され難いことだとは分かっているから、あまり強調したくはないのだが、そうやって身をまかせた。目を閉じたあとも、映像はそこにあるように思われたし、音だけを聞こうと思えば聞くことができた。眼は一切役に立たなくなったように思われた。波と砂浜とレコードのシーンだけが、懐かしい感覚を呼び起こしに、僕の目元にやってきた。だがそれは望ましいことではなかった。ひとつには音と一致していないからだし、ひとつには全ての景色から解放されたいという、僕の欲望からだった。
じきに足の裏から、新たな痛みがやってきた。耳と反対側から、音に抵抗するかのように。それにも支配されないようにじっとしていると、段々と世界の全てを手に入れられそうなくらいに思えてきた。それは間違いなく錯覚だったが、妙にみずみずしかった。その錯覚を打ち壊したのは、次の展示室に行く途中の通路に設けられていた、時計のオブジェだった。それは現実の時間とは関係ないかのように、突如鐘を繰り返して鳴らした。僕はそれに打ち勝ってしまわなければならなかったが、しばらくして平静を得ることができた。

眼をあけた。なくてもあっても同じなのだから、開けても閉じてもいいのだった。まばたきを意識しながらすると、睫毛はスローモーションのように動いた。それからはもう何も意識しないように努めた。ただスクリーンのほうへ顔を向け、体にあいた穴という穴から入る流れをそのままにしておいた。しばらくそうしているうちに、再び眼が、頭脳が、映像から何かを探り出そうとしていた。映像には、形式を変えながら、渦巻きや回転運動が繰り返しあらわれていることに気がついた。先ほど来、断片と感じたシーンのそれぞれを作る手法は、すでに構築された後のシステムの臭いを残していた。つまりプロセスがないのだ。手法は雑多で、多様に、横並びにつなぎあわされており、全体はカテゴライズから外れているという、未知の印象を提出していた。縮尺は変更されていた。伸縮もしていた。あらゆるものは分解された状態だった。時間の巻き戻しが起こっていた。倍速化も行われていた。そして最終的に二つの印象を僕は受けた。この作品にはミスをおかしている部分がない。たとえおかしているとしても、見つけられない部分であったり、むしろ味として解釈ができる。そしてもうひとつには、いやらしくない、ということだった。ありきたりさからくる、いやらしさから、逃れていた。こんなにも、だから、心地が良いのだ ̄そう結論づけた。そこには不安はなく、ただただ輝かしい漆喰の壁が続いていた。
しばらくはこうした時間が続いたように思う。するとある時、青い服につばつきの帽子をかぶった警備員の老人がやってきた。彼は靴底がゴムでできているのか、静かな足音で近づいてきて、もう閉館の時間なのでよろしくお願いします、と言った。僕はうなずいた。首から上だけしか動かなかった。少し失礼な格好だとは思ったが、老人はそのまま入り口へ向かう通路のほうへ行ってしまった。
体を起こそうとすると簡単ではなかった。全ての血という血が固まったようだった。指先に力を入れることから始めると、かすかに服の袖に触ることができた。猛烈な低速度のなかで、頭のなかでは、動け、動け、動かないと、動かないと、と叫んでいた。その状態に名前をつけるとすると、恐怖と恍惚だった。心臓が止まってしまうような気がした。体が動き始めると、それが自分の興奮した意識とは裏腹に、ひどくのんびりと鼓動しているのが、よくわかった。体と意識のつながりは、深く断絶されていた。そして、だんだん動くということは、あたらしく自分そのものが生まれ出るという感覚であり、自分自身のつながりを再び正しい状態に戻すということではなかった。
じっと座っていた時には、自分の視界は正しいと思われていた。しかし指先のあとに足の様々な部位、あるいは腰、背中のあたりに漫然と力を入れて試行錯誤をくりかえしていたあたりから、目の前の風景がぼやけ始めた。その印象は、自分の両手を必死に椅子の縁に動かしている間に、ますます確実になっていった。同時に耳の能力があからさまに変化して、大量に流れ落ちる瀑布のような音が頭のなかを支配した。ひとつひとつの音の粒は、手に冷たく弾けた触感がわかるように、鮮やかだった。僕はすぐに、視覚のかわりに聴覚が、身のまわりの全体像を把握しようとしているのだと感じ、そして、自分が今まさに、死に直面しているのだと考えた。

それからあとに起こったことについては、ほとんどがなぜそうなってしまったのか、よくわからない。指先に加えて今度は手のひらにも力を入れて、腕をまっすぐに伸ばそうとしていたとき、僕のなかでの高揚はすでに最高潮に達していたように思う。それは水しぶきのなかでの喜悦とでも呼べるようなものだった。眼は前かがみになった頭蓋骨のなかで機能を失っており、半開きのまま床のほうを向いていた。
これ以上動くと、何かが途切れてしまうという地点だった。心臓ののんびりとした動きを感じながら、そのままの体制を維持するなかで、立ち上がるんだ、という強い意思だけが、頭脳を支配していた。肉体全体が固くなっていた。水の流れ落ちる音はなり続けていた。しかしそれは確かに、リードが巻き取られたり、糸がたぐり寄せられたり、メトロノームが振幅している音でもあった。



僕の前に、そのとき彼らがやってきた。黒いローブを羽織った大勢の人々が一列になって、ゆっくりと行進してきた。頭から床までおおわれていて、顔も体の動きもよく見えない。足だけが前へ、前へと進んでいた。速度は、人が可能なぐらい遅く歩くとしたらという仮定の下に実験されているかのように、遅かった。半歩に満たない歩幅で、行列全体が隙間なく前進していた。気が付いたときには、彼らは入り口のほうからやってきて、僕の目の前にいた。
僕の体は自然と起き上がり、列に加わって歩き始めた。筋肉と関節に無理に力がかかったために、それとは反対に僕は、動いてはだめだ、止まらなければいけない、と頭と心の両方で叫んでいた。体は言うことを聞いて止まろうとした。しかし床がスロープになっているのか、体は実際には止まらなかった(たしかにその展覧会の床は、実際は全て平坦だったのだが)。その列のなかに入ってからは、前進のほかにどんな他の動きにも意味があり、同時に無意味なようだった。永遠に周回しつづけているのだというイメージが、僕をとらえた。
それからどれぐらい歩き続けただろう。僕は体を動くままに動かせていた。ただ音と意識だけが、破綻したかのように思われる、動くか動かないかという欲望の絶対値だけが、あふれていた。

僕はいつの間にか、気が付いたときには駆け出していた。低姿勢で四足を地面に這うように伸ばして走っていた。バターになってしまった童話の中の虎のように、溶けていくかというように。設計されたシークエンスが意図を失い、ただのコースがそこにあった。鑑賞物が何かなど、全く眼に入ってこない。むしろ何も展示されていなかったとしても、不思議ではない。覚えているのは、高速度と低姿勢からのぶっちぎりの先頭を疾駆する風景、両目の脇に流れ出ていく風景だけだ。
スタッフは誰もいなかった。美術館は先刻よりずっと巨大になっていた。変形もしていた。大きな同心円状のカーブがあり、スピードを落とすことなくそこに突入した。鼻息はますます荒くなっていった。もはや完全に動物のそれだった。
僕は一周し、一目でエントランスとわかる場所に戻ったあと、そのまま二周目に突入した。そのとき、自分のなかから躊躇という選択が完全に消えてしまったことをさとった。もう世界が追いつくことはできないまでに、全てを置き去りにしたようだった。

三周目には突入していない、二周目のどこかの地点で、僕は足を止めて、そうやってグレイハウンドのまま、ひとつの『大きな木』の彫刻を見上げていた。『大きな木』というときに人が想像するであろうかたちを、それは体現していた。白い石膏で、教会のマリア像のような質感で立っていた。
その足元にはとてもとても小さな、本物の『大きな木』が生えていた。完全なミニチュアだった。それは小指の第一関節から上くらいのおおきさしかないなと、僕は眼で測ったことを覚えている。人間の成人男性の激しい小指の動きと感覚を、このとき頭に思い浮かべたことをはっきり覚えている。しかし同時に、そこには鳥の鳴き声が聞こえ、花が咲き、葉も青々と風に揺らいでいた。
その小さな『大きな木』には、プレートがかけてあった。そこに名前のようなものが書いてあったのだろうが、読み取ることができなかった。三文字だったことと、それが漢字とひらがなのように、二つの種類の組み合わせで書かれていたということだけを覚えている。はっきりとしたことはわからない。



もうこの時には、僕を意識よりも状況が支配しようとしていたと思う。
その状況というのが、美術館にあるはずのない扉だった。こちら側の暗闇に、あちら側の暗闇から、かすかに濃い青インクのような明るみが漏れていた。扉の隙間から、音がした。ショパンのノクターンだとそのときは思った。だが今考えてみれば、例の映像の通底音だったに違いない。
僕はもはや、洞窟の底から陽の強い光を求めるなどという、大それたことは考えていなかった。また、待ち合わせの時間についても考えていなかった。ただゆっくりと二本の足で歩いていき、静かに扉を開けた。向こう側のさらに奥にある扉の奥で眠っている者たちに気づかれないように、あとは部屋に入っていくだけだった。

思うに去年の一二月の彼女のパーティーは、作られた楽しみの輪でしかなかった。全ての出来事は、好ましいことであれ、避けるべきものごとであれ、メンバーが集う原因となってしまう。彼女自身が企画したパーティーのようにみせかけられているが、それだけが本当ではなかった。結局こういうだけで十分だろう―僕たちはそこへ行ったのだ。彼女はそのときすでに死の直前におり、かすかな兆候であれ、それを感じていたに違いなかった。僕たちは寄ってたかって、彼女の家にあがりこみ、大声で満たし、ソファーにワインをこぼしたりしたのだ。僕たちの演目は楽しそうであっただけともいえず、本当に楽しくもあったが、いずれにせよ二人の人間の命は奪われてしまった。そして四肢の痛みや激しい疲労のなかで、こちら側からあちら側に送り出すすべてのエネルギーが、何か途方もない大きさのものを動かそうとしているという、事実にも似た確かな感覚が、僕を今支配しているのだ。
彼女の家に集まったことだけではない。メンバーの離脱とそれに伴う引き止めもそうだ。日常的な励ましや、カツ入れといった呼び出しもそうだ。北野での焼き肉も『会長』も、『おじさま』もそうだ。一方で失われ、一方で手に入る。世界中で今にも新生児が生まれてくる。それがなぜ彼女ではなかったのか。眼には見えない確かなエネルギーが、彼女と彼女の子供にやってきた。だが、死因の特定など、それ自体、不可解なものだとも思う。
それでも僕自身もそれに少なからずかかわっているという考えがそこにある。残された人々は皆、子供の乗っていないベビーカーを押しながら、暮らさなければならないだろう。あまりにも酷な光景だ。気の毒でもある。だがそれは僕自身の問題でもあるのだ。街では瞬く間に開発が進行し、家という家は家族構成に従い更新される。そこまで考えが及んだとき、『大きな木』の意味するところを受けとったような気がした。僕はいろいろな場所で、あくまで個人的に生きている。そこにはやはり枠組みがあり、鑑賞しつづけたとしても、次第に抜け殻になる。そしてある時、瞬間的に、グレイハウンドが現れる。家の前にはたいてい切り抜かれた「土残し」の部分が用意される。そして今回僕が見つけたのは、彼女の家の前に植えられるべきはずの、二本のシンボルツリーだったのだ。



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2014.03.22(Sat) - 詩と作文 2014





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