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切っ先


いま地震が起こって、突然、
自分の人生が終末を迎えたとして、
その瞬間に自分が、今、死んでもいい、と思えるのか、
あるいは、死にたくない、と恐怖を思うのか。

例えば、地下のカフェにいて、頭上のビルが基礎・構造もろとも壊れて、
結局、天井から自分の体重の千倍、万倍の重量の建材が降ってきた、
というときにどう思うのか・・・。
その死は避けることができないのだ。
突然、向こう側から、一瞬にしてやってくるのだ。
すべてが「零」に、帰っていくときがくるのだ。
積み上げてきた努力も、
払い続けてきたローンも、
書き続けてきた日記も、なにもかも、
残るであろうものだって、残るかどうかはわからないのだ。
地震から守られたものがあったとしても、それからの未来に口を出すこともできないのだ。
他人の手にゆだねるしかないのだ。



ぎゅうぎゅうの満員電車の先頭車両のなかで、
運転席のある空間と、我々のいる空間を隔てる一枚の鉄製か、アルミ製の壁面に、
体を強い力で押しつけられながら帰る。

列車の乗車率は一〇〇%をゆうに越え、一五〇、二〇〇%に近いはずだ。
過剰な量の溢れかえりのなかで、先頭、切っ先を与えられながら、
一枚の壁の向こうは、操縦席であり、ガラスの窓から先が見通せるにもかかわらず、
乗客という無権利者として、命を見えない何かにあずける。
例えば、今、同じレールのうえを、
対向するかたちで列車が走ってきたとして、
正面衝突を起こしたとしたら、
僕は死ぬのだろうが、
その防ぐことのできない死を、気持ちよく迎えることができるのか。
それとも急ブレーキがかかった瞬間に、恐怖とうらみを抱くのか。
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2012.12.29(Sat) - 詩と作文 2012





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