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最後の自由な水曜日

僕と先輩は球場に行った。6月初めの水曜日だった。僕は婚約者と、次の日曜日に結婚式をあげる予定だった。
久々の観戦だった。4〜5年は少なくとも、この球場にきていなかった。でも何も変わっていないようにみえた。変わったのはおそらく、大きな広告の内容と、遠くのほうにそびえたつ超高層ビルが、数本ふえたぐらいだ。

サイレンが鳴る前に、スターティングメンバーが紹介された。自分の球団のうち、2〜3人の選手の名前しかわからなかった。

それから、Mの2000本案打の達成セレモニーがあった。達成したのはもう1〜2週間前のことだった。
偉大なN前監督の、祝福を伝えるビデオが放映された。それから驚いたことに、N前監督その本人があらわれた。バッターボックス近くまで歩いていき、花束をMに手渡した。我々は座ったまま、メガホンを気持ち程度たたいて祝福した。イントネーションがおかしな外国人だけが、「オメデトウ!」と叫んでいた。空には紫とオレンジが差しあい、雲が乱れていた。鳥も飛行機も風船も球筋もなかった。相手チームに移籍した後、同じく2000本案打を先日達成したIにも花束が手渡された。三人はバックスクリーン側を向いて並んだ。それを撮影するカメラマンは、不思議なほど行儀よく三列に並び、五〇人ほどいた。フラッシュが小さな水盤に反射する光のように舞いちった。
この古ぼけた球場に、それほど多くの記者がいたのだ。

試合開始のサイレンが鳴ったあとは低調だった。我々のチームは9連敗中だった。毎回打ったものの、2塁までしかランナーを進められなかった。5回が終わるまでに7本のヒットが出たが、得点は無かった。先発ピッチャーはどちらもよく投げていた。だが、おそらくこちらのピッチャーのほうが、ほんの少しよかった。球速は140km/h前半がMAXだったが、ストライクは先行していた。

しだいに雲行きがあやしくなり、小雨がすこしづつ強まってきた。我々のチームは何点か相手チームに献上した。それでもMがその日3本目のヒットを打ったとき、いまだに1点もとれていなかったが、我々は再び盛り上がった。代走で聞いたことのない名前の選手が出た。きっとスピードのある選手に違いなかった。我々はベンチに戻るMに惜しみない声援を送ったり、メガホンを叩きまくったりした。
スコアボードは寂しかったし、ホームだというのに相手チームのほうが観客が多かった。相手チームの応援はトランペットが鳴り響き、声援の息はぴったりだった。我々はいつもどおり、バラバラだった。

空はすでに濃い紺色に染まっていた。巨人の腕のようなライトから放たれた強い光が、芝と選手と我々を照らしていた。そのまん中で、相手チームはピッチャーのまわりに集まり、長い円陣を組んだ。我々はそれをじっと見守っていた。

次の打者も名前を知らない選手だった。何球かねばった後、彼は左方向に強い打球を放った。我々はこの試合で初めて立ち上がった。代走のランナーが三塁に到達したとき、レフトはすでに補球して球を投げようとしていた。コーチ(かつて一番を打っていたKだ)がこれでもかというくらい大きく、速く、腕を振り回していた。本塁にランナーが向かってくるあいだに、レフトからバックホームのお手本のような球が返ってきた。捕球したキャッチャーに、代走のランナーはまっすぐ突進していった。僕たちはかすかに口をあけて、審判を凝視した。

内野の守備陣が軽快に戻りながら、ピッチャーとハイタッチした。我々は静かに固いシートに座りなおした。我々の7回はこうして終わった。

9回裏、最後のバッターもあっけなく倒れた。ヘッドスライディングもなく一塁を走り抜けたあと、すぐにサイレンが鳴った。我々は空いた紙コップやら枝豆やらのくずをまとめて、あらためてグラウンドをみた。すでに我々のチームの監督はダグアウトを歩き、周囲にはカメラマンたちが無秩序に群がっていた。大勢のファンに混じって階段をのぼり、球場を出るまで、先輩も僕も一言も口にしなかった。酔っぱらった何人かを除いて、一塁側付近の我々の誰も、声をあらげたりしなかった。イントネーションのおかしな外国人も、もういなかった。

球場を出るとあたりは暗く、夜風が顔にあたって心地よかった。ひとつは仙台へ行き、東京には我々のチームともうひとつのチームしかなくなったのだ。僕は、その2つ残ったうちの1つを選ぶことの、その難しさについて考えはじめていた。

僕は何かを言わねばと思った。しかたないですね-たしか、そういったことを口にした気がする。先輩は前を向いて歩きながら、しばらく沈黙していた。まわりは駅に向かう人だかりでいっぱいだった。水曜日にこれだけの人々が、我々のチームを応援していた。そもそもの人数が多いのだ。

なのに二つしかない。

突然、「楽しかったね、また来よう。」と、先輩が妙に明るいいつもの声でいった。「次はきっと勝つさ。」
あるいは僕の独身の最後の水曜日は、また違ったかたちだったかもしれない。勝利で飾れたのかもしれない。でも、それはすでに、選ばれてしまったのだ。

僕はMの3本のヒットを思い浮かべようとしたが、うまくいかなかった。僕は親父がこの球団のファンだったことを憎むことはできない。それは極めて自然なかたちで、僕という人間のなかにとりこまれた所属先だったのだ。けれど、それでも僕たちにだって、2つのチームから1つを選ぶ権利はある。そう球場に来た子供たちに、父親か母親につれられてきた子供達に、伝えたかった。手遅れになってしまわないうちに、選んでおくべきこともあるのだと。
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2012.12.29(Sat) - 詩と作文 2012





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