Recently
Archive
Category
Link
Profile


「カンバセイション・ピース」 保坂和志

3.jpg


中学以来の友人で文学に詳しそうな畑山の薦めで一昨日出会った本。神保町三省堂書店にて新品を購入したときは結構な大作かと思うも、案外すんなりと読めて、久々に、小説によまさせられた感覚をあじわうことができて、しかもそれも自発的に読まなくてもいい楽な状態が最後まで続いて、心地よい興奮がいまも残っている。

主人公高志(作家)の、1つの家に住む数人の同居人たちや数匹の猫とのコミュニケーションと、友人2人との横浜球場での野球観戦と、絶え間ない自問自答と。内容はこの3つしかなく、交互にそれらがでてきては消えてゆく。身のまわりの会話や、昔家にすんでいた伯父伯母や、猫の生と死や、ベイスターズの応援賛歌や、あらゆる自問自答の中で高志は時にひとりごち、時に周囲としゃべりながら、世界の見方を固めていく。そんな日々だらりとすごしているように見える高志の得体の知れない強さが伝わってきて、読み手としても真剣に対峙するしかない。

最初から、夏目漱石と中上健次を足してニで割ったような感じを受けたけれども、それは猫がでてくるのと、文体がだらだらかかれているからというほどの意味ではなくて、日常に対する斜にかまえているが教養のある落ち着いた(良くも悪くも)態度と、そこらへんで走り回っている猫や昔家に住み着いていた人々の行動と、自分の頭の中の観念なんかがごっちゃになって想起されるような思考回路が実にうまく文章化されている巧妙さみたいなことにおいてである。

そんな巧妙さやしたたかさもあるが、それとは違う側面で、この作家は一軒の家と野球場という建物を選択している。高志は家では猫にしか目がなく掃除も洗濯も料理もしないで小説も書くわけでもない中年であり、野球場ではアンちゃんのように野次をとばしビールをあおる一ファンである。そういう確固たるスタイルは、2つの建物と共に作り上げてきたものとして解釈され、2つの建物は非常に強い力を持つもの(たとえば1元化させる力であり、可能性を終焉させる力)なのであって、決してあがらえないものとしての何かを認めるにいたる。しかしそれが常に現実の「カンバセイション」にフィードバックされているために、神聖化も幻想化もしないところが「ピース」である、といった感じを受ける。
例えばここで僕は鈴木博之のいうゲニウス・ロキを思い出す。土地に性癖のようなものがあるという1元的仮説とその歴史的あらすじの紹介は、このような注意深くモノを見続けるうちに結局生を続けてしまわざるを得ない人類に、建築史という事実に立ち返る分野から回答をあたえたのだと思う。

とりあえず、2章最後、4章中盤、5章最後の自問自答が印象大。また、最終6章においてこの小説は、流れの変化の絶妙さをもって終決させられている。かむほど味がでそうなハモンイベリコ的一冊。
スポンサーサイト


2009.12.29(Tue) - 詩と作文





/