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「ヘブン」 川上未映子

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昨日テレビを昼下がりの1時くらいに見ていたら、若い作家の女子が出ていて、それが川上未映子だった。即座に近日(といっても2、3ヶ月前だが)読んだ「AMEBIC」や「蛇にピアス」の金原ひとみを思い出した。それらがよかったこともあって、若い女流作家は気になる存在だったけれども、さらにその番組を見ていると、彼女が少しばかり変な雰囲気を持っていることがわかった。

それは、モノはいったいどこからゴミになるのか、というものであって、モノはゴミ箱に入るとゴミになるがではどこからゴミなのか。机とゴミ箱の間のどこからゴミなのか?小さい頃にそう考える子供だったらしい。私は考えたことも無かったが、彼女はそれについて「モノは入れ物できまるんやなぁ」といっていたことに僕は妙に腑に落ちてしまった。

ちょうど時間があいて小説が読みたかったこともあって、「ヘブン」を読んだ。舞台は学校で、いじめにあっている男子と女子が近づいたり離れたりするそこらにたくさん落ちていそうなお話。

2人はともに美術館にいき、階段で話をする。2人は学校でいじめられつづけるのだが、そのことは特に解決しない。まず女子が立ち上がり、いじめられている自分たちが実は強い存在なのだと男子に告白し、啓示するが、男子はそれに違和感を覚え、距離をおくようになる。。その後男子も立ち上がり、いじめリーダーの右腕的存在である百瀬と口論する。しかし相手にされず、話が通じない。その後も両者は黙っていじめられ続ける。いじめられるものはただのモノとなっているのが一番楽なのだ。

終盤に、雨の降りしきる公園でいじめが行なわれるシーンがある。女子は全裸になって笑い飛ばすことでいじめグループに勝利するが、最終的に彼女は泣きながら笑っている。男子はそんな彼女をなぐさめることしかできない。そこで二人の話はおしまいで、後は、男子が斜視なんだが、その手術が行なわれ、視力が回復することが描かれる。

「ヘブン」というのは2人が行く美術館に飾ってある絵の名前で、女子が勝手につけたもの。このことといじめグループに対する具体的な行動描写からもわかるように、作者は女子を非常に具体的に描けている気がする反面、男子は少し生気が感じられない。それに加えて概念を登場人物に語らせているため、小説全体がより演劇っぽくなってしまっている。

それでもこの小説が教えてくれることは、強さと弱さについてであって、数秒前まで両足で立ち向かっていた女子が崩れる、その泣きながら笑っていることの、弱くて強い、強くて弱いことの、同時存在感。それを、いじめグループに石を持って反抗し強がりたかったものの、結局失敗に終わった男子がかけより、なぐさめる。反抗できるけれども結局できない、この偽善的な男子は強がりつつ弱がっていて本性を喪失している。

本性喪失したものは、ある面モノ的であると思われる。ゴミ箱に入ってゴミになったモノのように、入れ物によって変わってしまう。同時存在は人間的だと思われる。
そしてこの本性喪失と同時存在の最たるものが建築のなかにもある。ただのモノでありながら、さっき弱いとおもわれることがはたまた強くおもわれたりする。建築とは、モノでも人間でもない、その両方の特質を持った第3の存在である。弱そうに見えたものが強そうに見える、あるいはその逆が見えるような、それでいてれっきとしたモノである。
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2009.12.26(Sat) - 詩と作文





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