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村上春樹 「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」から思った事

これは村上氏がアメリカで編集され出版された自分の短編集を、日本で発行する際(題名は『象の消滅』)に、その序文として付け加えたもので、アメリカでの出版活動の回顧録となっている。淡々とした文章に、様々な人との出会いや日米の出版業界の違いなどがまとめられている。
「ニューヨーカー」という雑誌に対する憧れ、そこに自分の作品が掲載されたときの感動、本の売れ行きがよくなかったという「冬の時代」など、自分の感情や原動力について書かれている。
それと同時に、出版活動の中で出会った出版会社の社長や編集者、翻訳者の描写にとても沢山の紙面がさかれている。本の末尾に、作者がよく出版の際にお世話になった人々に「感謝の辞」のようなものを書くことがある。しかし本書で氏はそれより一歩踏み込んだ描写を行っている。具体的な出会い模様やその人の性格を、くわしくも平易な独特の言い回しで、淡々と書き連ねている。そこにはゆっくりながらも丁寧に、あるときはすこし客観的に人間関係を見る、真剣で正直なあたたかみのようなものが感じられる。そんな文章をよんでいると、氏の周りのアメリカの人々がみな魅力的に見えてくる。不思議なことである。
氏の文章には、明確な説明や分析がないというわけではない。しかし、一つの物事について、深く、長く書き連ねるということも少ない。もちろん、一般的な人間の書くものに対すれば多いと思う。だが沈思黙考をだらだらと書き連ねる風合いはない。
一つの段落を読んでいても、とりとめのない話が出てきたりもする。事実関係を示すような話は軽快に飛び、日記や簡易な手紙のような感じである。しかし突然重要なことに思い当たれば、腰をすえて考えがまとめられる。
なにか文章1つの書き方そのものにも、「色々あったけど、ぶれない」というスタイルが見え隠れしてならない。そして、それが、そのまま、書かれている気がする。それが小説だけにとどまらず、序文のようなものにまで及んでいるところに、安心感を感じる。微動だにしない、重い腰がぶれないで存在している。作家にとって、このことがどれだけ大事なことか。

作品の最後の方で、氏が、ジョン・アップダイクという憧れの「ニューヨーカー」作家から「君の作品はすばらしい」と声をかけられて、嬉しさをかみしめる場面がある。「いろいろきついこともあったけど、こつこつとがんばってきてよかったな」と。

ところで僕のこの文章のテーマは、何故そこで突然僕が泣いたのかということである。淡々とした自己回想録に何故感動するのかということである。

その後、氏はなぜ「ニューヨーカー」のような雑誌が日本に存在しないのだろう?というのがこの文章の本当のテーマだ、とかき切っている。
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2009.04.30(Thu) - 詩と作文





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