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座席の両端

 私が転職して間もなかった頃のことだ。
 朝、部長から電話があった。オフィスにパソコンのバッテリーを忘れた、と彼は言った。その日は外出先で朝一のセミナーを開催することになっていた。私は普段よりも早くオフィスへ向かった。バッテリーはすぐに見つかった。
 いつもは乗らない逆方向の総武線に乗った。
 途中、私は座席の端で本を読んでいた。ふと顔をあげると目の前に昔つとめていた不動産会社の田中さんが座っていた。彼は私に気が付いていなかった。私は本で自分の顔を隠した。そして、その上端から目だけをだして、じっとまわりを見渡した。
 前の座席には四人が座っていた。その端の一番遠いところに座っている男の顔にも見覚えがあった。少し考えた後、彼も同じ不動産会社の三橋君だと思い出した。
 彼も私に気が付いていなかった。私は本を閉じて、膝の上に置いて、息をすった。それから本をゆっくりと、鞄のなかにしまった。そうしてしばらく無防備のまま、田中さんと三橋君を見ていた。
 それでも彼らは気が付かなかった。

 私は鞄のなかから本をとりだして、もう一度読んでみようとした。でも集中できなかった。私は再び本の上端から、目の前の田中さんの顔を見た。本当は田中さんではないのかな、と疑いながら。
 そう考えると、本当の田中さんよりも、目の前の田中さんが少しだけ若いように見えた。それから身に着けている服や靴が、少しだけセンスがよいものであるようにみえた。
 でも、それでも間違いなく、目の前にいたのは田中さんだったのだ。
 そして、遠いところにいる三橋君は、私の知っている三橋君のままだった。背もたれに背をつけたまま、手を膝の上の鞄にのせて、落ち着いた表情で前のほうを見ていた。

 私が総武線を降りる時まで、結局二人とも気が付かなかった。
 昼食のとき、私は朝あったことを同僚のトモコに話した。
「二人とも気が付かないなんて、あんまりだよ」
 それから私たち二人は、少しだけ笑った。

 でも私にはわかっているのだ。
 トモコも私のことに気が付かなかったことを。
 トモコも、列車のなかで、私の前の座席に、つい先月、座っていたことを。

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2014.08.31(Sun) - 詩と作文 2014





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