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ひとかけらの景色から、曲面ガラスのアーチまで 1

地面に沢山建物がうめつくされていて、すこしづつ間がみえるというイメージ。


最初のイメージが強烈すぎたんだよ。
ほら、臆病になっていないで、その植物園の中にはいってごらん。


君が見たのは、すこしづつ傾斜する細長い街区の風景。
街区を作れないほどに傾斜した土地にまで見る、連続した建物を建てたいという欲望。
いわばヨーロッパ巨大中庭街区のファサードだけが残った状態。

ほら、気付かないかい?
この風景が君の中に強迫観念のように巣くってるんだよ。

ところで、ここが敷地だってわかる前、
ローマ橋から、敷地を漠然と見渡したことが幸運にもあった。
なんたってそこで何かやらなきゃならない、っていう考えなんてひとつももっていなかったんだから。異郷の地でそんなことがあるなんて完全な偶然だったんだね。

その時は、なんだかいろんなものが組み合わさっている場所だなと思っただけで、特に感動も無かった。
君のメモには近景、中景、遠景の緑の違いなんてわけがわかんないことしか書いてない。
よっぽど感動がなかったんだろう。

でも橋から見えた風景をスケッチしたりしてた。
もしかしてこれが君のポルトガルでの最初のスケッチなんじゃないかな?
なにも無いところのよさだね。
何もやることがないと、人はなんかやりたがるものなんだよ。それが創造の源になることだってあるんだよ。
一緒にいったやつが、やたらと写真とっていて、君は暇をもてあましてた。
人が近代的な目で美しい風景を頭のなかにいやらしくしまいこんでたときに、君は古典的にもあけっぴろげに万年筆なんてとりだしたものさ。


それから授業をうけてそこが敷地だってことがわかってね。
妙にいろんなことに感心しちゃうことになる。

こうなってしまうとどんなことも面白く見えてしまうものなんだよね。
目に気合が入っちゃうって言うか。
だからいいとこばかりをみようとしちゃって、そそくさと頭の中が建築ポルノだらけ。
僕が君の気付かないところで、すすだらけになりながらそんな造花の山を焼いていたんだよ。

だけどこのときはもう手遅れだったんだ。
僕も君同様、あの細長く切られた線形の建物たちが、頭の中で不気味に増殖していたのに気付かなかった。
そんな敷地と関係のあるかないか微妙なところから移植してなんて、全くどうしようもない馬鹿だね。
だいたい温度の統制のきいた植物園の中じゃ、そんな雑草がはびこるのにたいした時間もかからない。

ねたばれなんていう言葉を使うのも気が引ける距離だよ。
かえって監視があまくなってしまったんだね。

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2008.11.26(Wed) - リスボン追記


コンセプト(批評求む)

Top2のコピー

コンセプト
なだらかな地表という幻想(あるいは地表の捏造)

状況(雑感、問題設定)
過剰な成長と衰退が進む街。
多様な人々がいる街。
過剰さと多様さをきれいごとでコントロールするたびに、不満や破綻やわざとらしさが起こる。
それを野放しにすれば街には落ち着きがなくなり、観光客も去れば、そこで生まれた者さえ他の街へ去っていく。
そんな状況下でさえ今新しい街を作ろうというとき、やはり何か人々が共有できる価値。
それがひとつの「幻想」であっては駄目だろうか?

敷地
過度の細かすぎる高低差が、アクセスの難しさを生み出し、市街地の延長を妨げている。
道路沿いだけで、町が完結している。

操作
・複雑な起伏のある地形を、ローマ橋を向けた方向で線形に分節する。
・屋根面がゆったりと傾斜するように調整された高さの線形の建物で敷地全体を覆う。
道路沿いだけで、町が完結している状況を、全体が活性化している状態にする。
線形の建物郡は、空地を外部の過度な視線から守るとともに、一方向へ開く。
まるで地表に立ったルーバーのように、ローマ橋が借景となって内部へ入ってくる。

・高低差の無いループを作る。
過度の細かすぎる高低差が、アクセスの難しさを生み出し、市街地の延長を妨げている。
屋根面と同じ高さに設定されたグリーン・コリドールは、人々を森へといざなう。
水道橋と組み合わさって、高低差の少ない、巨大なループを形成する。
人々の様々な風景を眼窩に見渡す歩行公共空間となる。
内容物が変わったとしても、建物の屋根面は変わることなく、街は永遠なる地表を手に入れる。

・新たな道を通す。

・いくつかの既存建物周辺を大きな空地とする。

全体(まとめ、何をしたか)
この街が定着したとき、なだらかな屋根面は、なだらかな地表を人々に想起させる。
多様、過剰ゆえに、幻想こそが最も強く長く共有されうるのではないだろうか?


2008.11.09(Sun) - リスボン追記


1029

今日のトピックはわかりやすい。
美術館とスターバックス。
こうなると報告書の体。

月曜に入れなかったGulbenkian美術館に行った。
11時着。
モダニズムの高さ5メートルほどの横に細長い長方形のファサードがお出迎え。
内部は2つの中庭と周囲から光が時々とられている。
ディテールがきれいで、いい建物だと思う。
展示内容は古代から近代まで満遍なく網羅。
まるで美術の教科書のようである。
異国で見る博覧会はなかなか字面では面白そうな問題に見える。
しかし特に感想なし。
日本で見るときと感想はかわらない。
ここ最近感受性の衰えを強く感じる。

1時半ごろ見終わってスターバックスへ向かう。
バスを3本乗り継いで郊外のショッピングセンターまで行く。
美味。生き返った。

その後学校へよって模型をもって帰宅。
夜中作業。



2008.10.30(Thu) - リスボン追記


Ângelo de Sousa

18_ANGELO DE SOUSA


Gulbenkian美術館で、カタログをめくっていて一番いい絵を描いていた人物。
Ângelo de Sousa
1938年生まれ。モザンビーク出身。
リスボン在住一ヶ月にとっての身近な例としては、Baixa/Ciado駅の内装を手がけていること。
ちなみにメトロの駅で、設計はシザ。

僕はスケッチ調がうまい画家が好きだ。
彼が書く手のスケッチはとてもよかった。
画像がないのが残念だ。
見てるこっちが疲れなくて、しかもこれしかないという線
それでいて主張らしきそぶりの見え隠れする線。
素敵であやうすぎて、1本の線がまるで偶然の産物に見える。
めったにめぐり合えない線にその人の生活そのものが見える。
ということを、今日もいくつかの作品をみて痛感。
色使いも自由だ。
彫刻作品も手がけているようだ。

観た後数時間数年たっても、いい絵はまざまざと思い出され。


2008.10.28(Tue) - リスボン追記


Peter Zumthor展示会

ピーター・ズントー(独:ピーター・ツムトール)の展示会に行ってきました。
彼についての印象がぐっと変化しました。
頑固な仙人みたいな人という印象が、器用なビジネスマンという印象に。
この展覧会についてのさらなる情報がほしい方は、amij_kk@hotmail.comまで。

R0013569.jpg  リアル模型
R0013573.jpg  リアル模型内部
P1060524.jpg  敷地模型
P1060525.jpg  敷地模型アップ
P1060429.jpg  スケッチ
P1060574.jpg  あるプレゼン1
P1060599.jpg  あるプレゼン2


○模型の法律

模型に対する彼の規則は徹底している。

最初に入った部屋にあったのは巨大模型の数々。
スケールは1:26とか1:8とのこと。
あまりに端数だったので案内者に質問。
彼は模型の大きさから作るスケールを決定するらしい。

その説明を聞いて、改めて模型をみてみると、ふと腑に落ちるところが確かにあった。
模型という伝達手段にとって、光や空間のボリュームが、人間が、ある高さから見たときに、適正なスケールというものがあるということだ。

2階には沢山の敷地模型がある。

敷地模型は、どれもあまり作りこまれていない。
「つるつるしゅ」っとした感じではなく、「さらさらのっぺり」した感じ。
それに自分の作った部分だけが光ったり、そこだけ作りこまれたりすることはない。

彼にとって、模型の法律とは、

敷地を伝える模型。それは「全体と建物の相互イメージを一枚の絵のように」伝えなければならない。自分の作ったものを「強調」するのではなく、周りの風景に「溶けこむ」ことを伝えなければならない。

空間を伝える模型。それは「空間の雰囲気のリアルさをそのまま生々しく」つたえなければならない。コンセプトは「模型で伝えるもの」ではなく、建物を見て一瞬で判明するものである。ましてや、模型の「かわいらしさ」を伝えるものにしてはならない。

イメージを伝える模型。それは

○プレゼンのテイスト

彼は、プロジェクトによって、プレゼンのテイストをはっきり変えている。

全体的に見ると、
スケッチの色使いは、プロジェクトによって様々だ。
カラフルなスケッチが出てくるプロジェクトもあれば、地味なスケッチばかりのものもある。
図面もすべて同じではなく、少しずつ違う。
手書きしかないときがあれば、ディテールまでしっかりかかれたものもある。
そこは千差万別。
ただ、プロジェクトの与条件を示すための写真は常につけられている。

ただし、ひとつのプロジェクトのテイストは、
模型、図面、スケッチともに、ひとつにまとまっている。
明るくてほのぼのか、暗くてかっこいいか、など、言葉でいえそうなくらいにまで純化されてわかりやすく。

状況に応じて柔軟に。ひとつのものに対してひとつのイメージを自信をもって提出する。
その技量が彼にはある。スタッフがやっていても、それをコントロールする能力がある。
ズントーは器用なビジネスマンの才能も持ち合わせているようだ。

○商品としてのプレゼン
最後に彼の模型やスケッチはどれも商品として売れそうなくらい素敵である。

建築は二次的売り上げができない、(複製不可能な)「モノ」である、と一般には考えられる。
しかし、ここまで模型やスケッチに精神というか哲学が通っていると、この模型やスケッチや、そのレプリカをうってもいいくらいの気持ちが浮かび上がってくる。
宮崎駿のセル画や、レイアウト集のコピーが売れるように。


2008.10.14(Tue) - リスボン追記





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